寄木細工の職人は小田原が発祥ではないか説

全国観光産業フォーラム2022の分科会で、小田原の「山のなりわい」まち歩きコースに参加してきました。

小田原は箱根山から丹沢山系に囲まれ、南側に相模湾という地形を生かし、古くから城下町として栄えたところ。その中核が難攻不落の城、小田原城です。
城下町は政治の中心であるとともに、都市機能として、商工業の中心地としても発展しました。そこには街道筋の商いだけでなく、モノづくりも盛んで、さまざまな職人たちが住み着いていました。

今は箱根の工芸品として有名な寄木細工もそのひとつ。

露木木工所にて

小田原の西部にある早川という河川は芦ノ湖が源流。約20kmの距離を下って相模湾へと急激に流れ込む川です。その流れ込んだ先には早川港(今の漁港より以前は東にありました。)。この漁港のまわりには魚市場や海産物の加工場、小田原名物のかまぼこ工場や店舗が集まっています。
そこまでは何となく理解できるのですが、不思議なことに、その間になぜか「木工所」がぽつぽつとあるのです。寄木細工の工場、木のうつわを作っている工場、漆器工場等、実際に歩いてみると、「なぜここに?山のなりわいが?」と結構違和感を感じます。

「早川と港と木工所」の関係。ここがミステリー(笑)なのですが、
ここは箱根の山から切り出された材木を海から運び出すのにも適しているし、東海道の宿場町で人もたくさん集まっているという絶好の場所で「木地師」と呼ばれる職人が木工品を作って販売していたようです。

検索してみると、箱根寄木細工については、江戸時代後期に箱根畑宿の石川仁兵衛が生み出し、現在まで技術伝承がなされているもので、国内では神奈川県箱根町と小田原市が唯一の産地となっている。という説が有力なようですが、そのルーツとなる木工職人「木地師」は小田原の早川の港周辺が発祥であり、生産量が増えるにつれて、樹木の種類豊富な箱根山から色味の違う木材を求めて早川沿いに箱根の山を登って行ったのではないかという説があるようです。

なるほどっ。

小田原の宿場町としての機能と木工職人「木地師」の存在、そして、芦ノ湖を源流とする早川の流れと港の役割、そして豊かな樹木に覆われる箱根山。それぞれの特徴を結び付けるとひとつのストーリーが浮かび上がりますよね。

地域の歴史・風土・文化の面白さを実感した1日でした。

アートとしても魅力的