小田原では「小田原合戦」といってます。

小田原メモ

小田原城は、関東支配の中心拠点として武田信玄、上杉謙信らに攻められつつも守り抜いた難攻不落の城として有名です。
しかし、それに続く説明の中で「天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の「小田原攻め」により北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。」というのが一般的ですよね。

上記の引用はまさに小田原城のホームページに書かれてあるものを引用したのですが、先日、小田原城研究の権威 小田原城天守閣の諏訪間館長のツアーに参加したところ、「小田原攻め」という言葉は使わず、小田原のナカのヒト目線で「小田原合戦」という言葉で説明してくださいました。なるほど~♪

歴史の裏と表を見ました。

ちなみに歴史好きの私は全国いろいろなところの地元博物館に行き、「裏表」の表現違いを見つけるのが好きです。薩摩藩とか、佐賀藩とか、会津藩とか、地元目線で語る歴史に真実が隠されてるのかも。