ガストロノミーツーリズムは美食旅ではなく「地域における新たな食文化体験の提供」

アイディアメモ

最近のテレビ番組では、朝から晩まで食べ物の話題ばかり。チャンネルを変えれば必ずどこかで芸能人が「おいし~い」と叫んでますよね。テレビ局からすれば、グルメを出しておけばそこそこ視聴率がとれる。ロケ中心だから、番組制作費も少なくて済む。地域のお店とすれば、芸能人が来てくれて「おいしい」を連発してくれればいい宣伝になるのでウエルカム、しばらくは行列が続くことになります。それはそれでみなさん納得の構図ですね。(視聴者としても、当然、紹介された店がこんなにすべて「おいしい、うまい」はずもないと思って見てますが。。。)

あまたあるグルメ番組やグルメコーナーはどれもこれも同じパターンでレポーターのコメントは聞き飽きて食傷気味なのですが、その中でも、最近少し変わってきたかなぁと思うのが、「せっかくグルメ」とか「タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!」みたいな番組。
今までは東京の芸能人が地域に旅に出て、そこで地域の名産や有名料理を食べるというパターンでしたが、この2つの番組は地元の人が普段行っているなかでおいしいと思っているお店を紹介するパターンの番組。ここでは古くからの地元グルメというより、地元の皆さんが普段食べている町中華や焼肉屋さんなども多く、「ここに来たならばこれを食べなきゃ」みたいなお料理があまり出てこないところがかえって新鮮です。ハッキリいえば、まちなかの普通のお店だったりするのですが、それはそれでどこが魅力なのかと一所懸命想像してたりします(笑)

まあ、そういう楽しみ方もあるといえばあるのですが、私が気がついたのはその点だけでなく、いろいろな地元人気店が紹介される中にまじって、東京や大阪などの大都市で有名レストランやホテルなどで修業していた人が生まれ育った地域や人里離れた田舎でお店を開いて成功しているお店がよく紹介されているというところです。そういうお店はお店がシンプルでこぎれい、お店のスタッフもきれいなカッコウをしていて、料理の見映えがいい、メニューも目新しいものが多く今風です。それでいて、かえってそういうお店の方のほうがもともと地元でやっているお店よりも「地元食材」を使い、本格的なお料理で新しい味の提案をしながら、新しいお店作りをしていることに気づかされます。そういうお店では地元の人たちがまちなかの窮屈なお店とは違って、いくぶん解放感を感じながら過ごしているような気がしますね。

水と空気が変わると味も変わる

私はおかげさまで全国いろいろなところに旅をさせていただきましたが、どこにいっても時間を見つけて地元で評判のいいラーメン屋さんに行きます。もともと味には敏感じゃないし、味を解説するというほどの熱心なレビュワーでもないので、その日その瞬間においしいラーメンが食べられれば幸せとだけ思っていろいろな店を訪ねています。ですから、明確な比較はできないのですが、そんな中でもひとつだけ「違いを感じる」ケースがあります。

地方の名店ですごくおいしいラーメンに出会った時の満足感はこの上ないのですが、その名店が東京の物産展やラーメンイベントとかに呼ばれて臨時出店するときにそれを感じます。現地に行かなくてもてベられる喜びもあり、すごく期待していってみるのですが、残念ながらほとんどの場合、私の記憶の中にある「あのお店の味とはちがう」とガッカリしてしまいます。というか、正直言いますと全くおいしく感じられないのです。逆に東京の臨時出店で食べておいしかったお店の現地の本店で食べるともっとおいしく感じられる現象もあります。そのお店のラーメンのおいしさって、その土地のお水や空気を感じながらいただくからこそ、よりおいしいのではないかと実感します。

味の差を埋めるのは情報量

私の場合、味の記憶ってとてもあいまいなもんですから、このお店の本店で食べたこと、地元の食材が使われていること、今ここにいることも含めて「おいしい記憶」を作り上げているのではないかと思っています。つまり、味は情報量で決まると。

旅行前にテレビやネットでそのお店、そのお料理の評判を知り、いろいろなレビューも確認したうえでいただくお料理は100点満点のうち、50点くらいの状態で味の評価が始まります。反対になにも調べずにまわりにはそのお店しかないという状態で入ったお店の評価は0点から始まります。だから知らないお店の知らない料理は客観的な指標がないから、どれだけ頑張っても50点しか取れない。でもあとからそのお店のレビューをみて、自分が思ったとおりだったら50点は100点になる可能性があります。

ガストロノミーツーリズムは「地域における新たな食文化体験の提供」

私のような「情報>味覚」の人が多いという前提で書かせていただきますが、
このように旅ナカの「食」は情報量次第で満足度がものすごく変わる可能性があります。あまりにも自信がないので、自分では「めちゃくちゃおいしい」と思いつつもまわりの人たちの顔色をうかがったりしながら、自分の判断が正しいかどうかを確認したくなったりします(笑)。とくにレビュー評価については地域に行けば行くほど投稿が少ないので信頼度が低いため、判断に困るのです。

ガストロノミーは一般的に「美食」といわれたりします。
「食」を知り抜いたお客様とシェフの世界。都会の素敵なレストランで上質な食事をいただいているシーンを連想します。

その流れで言えば、ガストロノミーツーリズムは「美食」を追求する旅と解釈してしまうとごく一部のフーディーといわれる熱心なグルメな人たちだけのマーケットとなってしまいますが、そうではなく、
観光庁によると「ガストロノミーツーリズムとは、その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、その土地の食文化に触れることを目的としたツーリズム」であり、地域の伝統や多様性をサポートするだけでなく、文化の発信、地方経済の発展、持続可能な観光の実現等にも資するもの、ということのようです。

簡単に言えば「地域における食文化体験」ということでしょうか。単なる食文化体験となると「地域で特別に今さらやることはない」といわれてしまいますし、ターゲットは外からの観光客なので、「地域における新たな食文化体験の提供」とでも表現した方がいいのでしょう。
地域の食、それにまつわる文化も含めて旅を楽しむということでしょうから、単においしい料理を食べておしまいということではなく、食材にかかわるストーリー、この地にこの料理が生まれた背景、新しい料理、そして料理する人とのかかわり等のすべてが味付けであり、ガストロノミーツーリズムの構成要素となりえます。

地域ではこれまで食材を作る人と料理をする人が同じだったり、同じ地域の中にいるもと同士だったため、外への情報発信はあまり必要なく、地域の中で食にかかわる消費経済が回っていました。だから、あまり地産地消とか、食にかかわるストーリーとかを伝える必要はありませんでした。ところが、外からの観光客を呼び込んでガストロノミーツーリズムをひとつのマーケットとして取り組んでいこうということになりますと、地域の食にかかわるとりくみに対する情報発信量を増やして、外部の人たち、都会の人たちまで伝わるようにしていく必要が出てきます。そこでは、古いままになっている地域内の食文化に対する取り組みを整理するだけでなく、新しいものを取り込まないと都会で贅沢な食体験をしてきた観光客には太刀打ちできません。

地元で食材を作る人×新しい食を創る人=新しい食のデザイン

そうなると新たに必要なのが、「外」からの人、モノ、カネ、情報、そして評価。それらと「内」の世界との融合が整って初めて観光客も満足する「食文化体験の提供」を可能にすると思います。
前述した生まれ育った地域や人里離れた田舎でお店を開いて成功しているお店などは、まさに外を知っている人が外の資本を地域に持ち込み、地域の産品から新しい料理を生み出し、新しい需要を作り出しているとてもよい事例だと思います。もしかすると外から来た人たちにとっては、その地域は新しい取り組みをしている競合があまりいないブルーオーシャンに見えているのではないでしょうか。

地元で食材を作る人×新しい食を創る人(新しい料理、新しい食の空間)で新しい食のデザインが生まれ、それぞれのストーリーが組み合わさって「地域における新たな食文化体験の提供」を進めるところにガストロノミーツーリズムが定着していくのでしょうね。