祭や集客イベント等を軸に一時的な集客で成果を残すイベント観光、海水浴やスキーなどの季節的な観光で地域の観光入込数をモノサシとして評価してきたこれまでの観光は、何人来たか、何人集めたかだけで見るとすごく地域に人を呼び込めているように見えるのですが、一方で1年のうち数日、長くても数ヶ月しか観光客が集まる期間がないために「観光業」として食っていける事業者が少なく、観光を目的とした地域活性化はなかなか実現していないというのが現実だったりします。
スキーシーズンに頼ってきた地域は夏のシーズンを賑わせるために何とかしたいでしょうし、桜の季節で賑わってきた地域はそれ以外の季節をどうするか悩んでいます。それでも実際には毎年同じシーズンにたくさんの人を集めているのでピークの時にしっかりと稼いだらいったんリセット。そしてピーク以外の対策のことはまた忘れて来年どうしよう、なんていう繰り返しかなと思います。なぜならば、ピークを超える瞬間的な売り上げなんてとても望めないと思っているからです。言葉は悪いですが、毎年同じ時期になにもしなくても「イヤというほど稼げる」ならば、稼げない時期に無理して小さな売り上げを拾い集めなくていいやと思うのが普通ですから。そうこうしているうちにまた次のシーズン、次のイベントがやってくるということですね。
その結果、地域の中ではオンとオフの波が大きすぎて観光事業者が増えない、どんどん高齢化しているけど、代替わりが進まず、いつまでたっても地域全体の観光収入は伸びない、気がついたら少子高齢化で来客数は徐々に減り続けていく。
だからやっぱり通年で集客できる方法を考えましょう、という議論に戻るというわけです。
この繰り返しを避けるためにどうすればいいのか?
通年観光はどう実現すればよいのか?
それを解決するためのキーワードは「分断」
「分断」を回避して「つなげる」ことがさまざまな「できないいいわけ」への対策かと思ったので以下に書き落としてみます。
昭和と令和の分断
昭和世代の観光客は高齢化が進展し、徒歩の観光を避けるようになってきました。でも、地域の観光地は相変わらず昭和時代に観光地化をしたまんまの状態で相変わらず昔から同じルート、同じ案内をしているので、山のお寺や神社において高齢者は長い階段は登れず、みなさんベンチで時間待ち。無理して登ったものの、途中でリタイヤ。最近自分も年を取ってきたのでその問題の深刻さがとても実感できるようになりました。時代は令和。さらなる高齢化社会に向けてバリアフリーでサステナブルな観光地のありかたを現実的に考える時が目の前に迫っています。取り残される人が増えてしまう。これもひとつの分断。
では、令和の観光客はそういった観光地に対応できているのでしょうか?
たしかにみなさん若いので悪路でも急な階段でもなんなく上り下りしていくので大きな問題は発生していないようです。でも結構たいへんなのはトイレ問題。
昭和のまんまの観光地では、町なかであっても「トイレがきたない」「和式はムリ」といったクレームがとても多いのですが、一過性のクレームだし、改装コストもかかるために目をつぶっているのが現状。観光地周辺のお店でもそのことは同様。トイレ問題は令和の時代においては「選ばれる観光地か選ばれない観光地か」にとって、とても重大な要素です。
以前にも書きましたが、「昭和のまんま」はレトロではなく「古いだけ」、レトロとはこぎれいでエモく演出がされた「デザイン」なのです。「古いだけ」では令和のみなさんには選んでいただけません。となりますと、もっとこぎれいなところへと足早に向かってしまうので、通年どころかその場で長居することはなく、隣の町へと向かうことでしょう。こちらは取り残されたものが生む新たな「分断」。
令和の観光、訪日外国人が増加してきたときの観光を意識したつなぎが必要です。
「観光入込数」と「観光消費時間」の分断
祭とか、イベントとか、スキーとか、海水浴から旅館の宿泊に至るまで、これまでの観光地はほとんどが一極集中でその場で消費が行われてきました。その囲いの中で時間を消費するため、飲むものも食べるものもその中で完結します。そこにそのエリア以外と周辺地域との「分断」があります。イベント観光で訪れる人たちはもはやほとんどが「リピーター」ですから、ここにはこれ以上のものはないからと言ってあきらめてるので、主目的以外のことについてはあきらめて、その中で消費します。つまり、新しいお店やおいしいお店、人気スポットなどがあったとしても情報としてリピーターさんたちの情報としてアップデートされていなければ回遊は生じないのです。
そして、結局、強すぎる主目的(祭りやイベント)が終わるとそのまま自宅に向かってしまうという繰り返し。自治体の観光担当者は観光入込数の統計データだけがモノサシなので「何人来たか」だけが勝負。地域における消費時間、消費額というモノサシを作ると大きく変わるのかも知れませんね。
回遊性の分断を回避するためには、あまりにも強い主目的で消費される時間とは異なる前後の時間帯に立ち寄ってほしいコンテンツ(食や観光)をピークの時期に合わせて発信して、自宅⇒主目的(イベント)⇒自宅のような直線的な行程でなく、回遊を促す取り組みが必要となります。やるべきことは、イベントや季節のピークの時に向けて、1年かけて周辺への回遊を呼ぶための情報提供をし続けること、毎年きてくれるリピーターのみなさんに来年来るときにはこんな楽しい場所が増えたのだということを延々と発信し続けることが大切です。おいしいお店も素敵な雑貨店もちゃんとあるんですがねえ~。イベントや季節の観光集客を最大化させるためにはそのシーズン前だけでなく、通年での継続的なプロモーションが大切なのです。
モノサシが異なることによっておこる「分断」。
観光がつながると消費時間が伸びて、消費額が伸びる、当たり前に想像はつくのですが、モノサシを変えることにより、実際につなげていってほしいと思います。
「ムラ」と「ソーシャル」の分断
カタカナの「ソーシャル」を受け止められる世代なのか、そうでない世代なのか?
ソーシャルメディアになじみ、ソーシャルが日常となっている人たちの世代がこれからはメインとなり、彼らの判断・行動がこれから先の地域を動かす。しかしながら、「ムラ」というソーシャルの中で長年生きてきた人たちはソーシャルメディアからの情報流入がないために「ソーシャル」のトレンドを理解できない。その人たちの態度をスマホの操作教室だけで変えることはとても難しい。
今はその中間地点。
典型的なのが、観光情報提供。
われわれの「ムラ」は昔からこの自然と歴史の中で暮らしてきた、だから我々の看板はこれだ!と
昭和から平成にかけて延々と「観光の看板」が変わらない。まだ生き残る紙のパンフレットにも、ホームページのトップにも昔ながらの地域の象徴の写真。それはそれである意味統一的なブランディングなのでしょうが。
インターネットが普及し出したころに作ったホームページもパンフレットをデジタル化しただけなので、作りっぱなしでデータが更新されない、祭りやイベントの情報は発信していますが、新しいお店の情報はアップすらしてない。
でも、旅行を計画している「ソーシャル」な人たちが日々探しているのは定番の観光スポットではなく、同世代のSNSから日々発信されているおいしいごはんだったり、シェアしたくなる絶景スポットだったり。古くからの「観光の看板」については全く検索していないのです。Googleで検索することすらしないのです。
しかもほしい情報は「今日」「明日」「来週」の情報。
10年間変わっていないデータベースの情報には見向きもしません。「ソーシャル」な人たちはフローな情報を消費する人たち。「ムラ」の人たちは不変の情報をストックする人たち。残念ながら、この分断を埋めない限り「ソーシャル」な人たちには届きません。反対に「今日」「明日」「来週」でその行動をつなげられると「通年」につながるということなのですがねぇ。
同じ手段を使っていても、ほしい情報と発信している情報が異なることによって生じる「分断」。
実はここに気づいていない地域が大半。
気づいたもの勝ちだと思います。はい。
以上、最近特に「分断」している現実を目の当たりにすることが多いのでメモとして書き留めてみました。地域の観光において「なぜできないのだろう」と思った時に一番の原因として「分断」じゃないかと考えてみてください。結構当たっていると思いますよ。